東京高等裁判所 昭和57年(く)71号 決定 1982年5月10日
主文
本件即時抗告を棄却する。
理由
一本件即時抗告の趣意は、申立人作成の即時抗告申立書に記載されたとおりであるから、これを引用する。
所論は、要するに、被請求人は、昭和五四年一二月二六日東京地方裁判所において兇器準備集合罪により懲役一〇月・執行猶予三年の判決を受け、右判決は昭和五五年七月五日確定したが、他方、被請求人は、昭和五四年一〇月三〇日東京地方裁判所において兇器準備集合・傷害罪により懲役二年六月の実刑判決を受け、右判決は昭和五七年二月確定したところ、原決定が刑法二六条二号を適用して右執行猶予の言渡を取り消したのは、以下(一)ないし(三)にその論拠を要約するように、同条の解釈適用を誤つた違法、違憲なものであるから、原決定の取消を求めるというのである。
(一) 刑法二六条一号にいう執行猶予の取消の場合は、執行猶予制度そのものが予定する合理的な取消事由であるのに対し、同条二号の場合は、執行猶予言渡当時に当然予想しうべき事由、すなわち実刑判決の存在が事後的に確定することにより、社会内処遇という拘束を伴わない刑事処分が質的に不利益な実刑という刑事処分へと変更するものであるから、事情のいかんを問わず同条号を形式的、自動的に適用して執行猶予を取り消すことは、憲法三九条の二重処罰禁止の趣旨に違反し、ひいては憲法三一条(適正手続条項)にも違反する。
(二) 刑法二六条二号の合理性を基礎づけるものとして、通常、(1)直ちに刑を執行すべき事情が生じた以上、執行猶予が無意味になつたこと、(2)併合審判されていたならば執行猶予でなく実刑を科せられていたであろうことの二点があげられるけれども、(1)については、執行猶予と実刑の併存が不合理であるとの論証はなく、単に他罪で実刑を科すべきであるからといつて、裁判官が一旦執行猶予が相当であると判断したものを、被告人に不利益な実刑に変更するのは余りにも合理性に乏しく、かかる不利益変更は、二重処罰禁止に反する以前に適正手続条項である憲法三一条に違反するし、(2)については、例えば、執行猶予判決に対し被告人が上訴で争う場合、別罪の実刑判決が先に確定するという事態がまま生じるけれども、この場合執行猶予を取り消すことは不能であることからしても、前示のような併合審理における実刑への一元的統一をはかるという理由の不合理なことがわかるし、また、本件において、被請求人から一方的に併合審理の利益を奪つておきながら(被請求人が併合審理の利益を放棄したと目すべき事情はなかつた)、他方で前示のように併合審理されていたならば実刑になつていたであろうという論理をとつて被請求人に対し実刑への一元的統一をはかるという不利益を与えるのは、全く不合理で、余りに酷な論理であるから、前記(2)を理由に執行猶予を取り消すのは適正手続を履践したとはいえない。
(三) 本件において、前示二つの判決をいずれも第一審で自然確定させておけば、遅れて確定する判決の執行猶予は法律上取り消されないですんだところ、不利益な実刑判決を自然確定させずに上訴すれば、その確定が遅れるため本件のように刑法二六条二号により執行猶予が取り消される結果になるというのでは、上訴権の行使を著しく不当に制約するものであつて、被告人の裁判を受ける権利(憲法三二条)を害し、かつ適正手続条項(同三一条)に違背することになる。
二そこで、まず、関係記録をみるに、被請求人は、昭和五四年一二月二六日東京地方裁判所において兇器準備集合罪(犯行日同年四月一一日)により懲役一〇月・執行猶予三年の判決を受け、控訴したものの昭和五五年六月三〇日東京高等裁判所において控訴棄却の決定を受け、同年七月五日前記判決が確定したこと、他方、被請求人は、昭和五四年一〇月三〇日東京地方裁判所において兇器準備集合・傷害罪(犯行日はいずれも昭和五一年六月三日)により懲役二年六月の実刑判決を受け、控訴したものの、昭和五五年一〇月一四日東京高等裁判所において控訴棄却の判決を受け、さらに上告したものの、昭和五六年一二月二三日上告棄却決定され、これに対する異議申立も昭和五七年一月二一日棄却され、同月二三日の送達により同日右第一審判決が確定したことが認められる。
右事実によれば、被請求人は、前記執行猶予判決の言渡前に犯した罪について懲役刑に処せられ、その刑につき執行猶予の言渡がなかつたものであるから、被請求人について刑法二六条二号所定の事由の存在することが明らかである。
三所論は、本件において、右条号を適用して前示執行猶予の言渡を取り消すことは違法、違憲である旨主張するので、以下に検討する。
まず、現行刑法における執行猶予の制度は、犯罪の情状が比較的軽く、施設外処遇によつて更生の可能性があると認められる者(以下、「本人」という)に対し、主として短期自由刑の弊害を避けるため、直ちに刑を執行することを控え、一定の期間中に本人が罪を犯すなど、所定の事由が生じた場合には執行猶予を取り消して刑執行に及ぶとの心理的強制のもとに善行を保持せしめ、無事に所定の期間を経過したときには刑の言渡が効力を失うものとして、本人の自発的更生の実現を期することを目的とするものである。そして刑法二六条は刑の執行猶予の必要的取消事由を規定し、同法二六条の二はその裁量的取消事由を規定している。刑の執行猶予の取消が、二重処罰を禁止した憲法三九条に違反するか否かは、右の必要的取消事由、裁量的取消事由の個々の事由ごとに判断すべきものであることはいうまでもない。本件においては、刑法二六条二号による取消の憲法適否が争点であるから、同条一、三号とも対比しながら、その憲法適合性を考えることとする。
四刑法二六条二号による猶予の取消が憲法三九条に違反しない根拠として、刑の執行猶予の取消は、猶予め判決に内在する法定の事由が実現したため取り消されるにすぎず、憲法三九条に違反しないとする考え方がある。猶予の判決は、もと法定の条件が付されていたものであり、その条件の成就によつて取り消されるにすぎないから、憲法三九条に違反しないというのである。たしかに猶予の判決が取り消される事由については、刑法にあらかじめ規定されていることは明らかである。しかし、取消事由が法律によつて規定されているからといつて、直ちに憲法三九条に違反しないとすることはできないであろう。法律によつて規定された取消事由の内容が、はたして憲法三九条に適合するか否かをあらためて検討しなければならないのである。従つて、猶予の判決が法定の取消事由を内在し、その実現によつて取り消されるにすぎないのであるから、憲法三九条に違反しないとの考え方は、直ちには採り得ないものと考える。従来、この点を論拠として憲法三九条適合性を考えるのは、猶予の判決があらかじめ法定の取消事由を内在するため、処罰はあくまで一回であるとする、すなわち、処罰の一回性に重点があり、法定された取消事由の内容そのものの憲法適合性については、当然に適合するとの前提で考えられて来たものと思われるのである。
五次に、刑法二六条二号による猶予の取消が憲法三九条に適合するか否かの基準として、刑法二六条一号による猶予の取消は、執行猶予制度に本質的なものであるから許されるけれども、同条二、三号による取消は必ずしも執行猶予制度に本質的なものではないから許されないとする考え方がある。たしかに、前記のような現行刑法における執行猶予の制度は、本来猶予期間内における善行の保持を条件として言い渡されるものであるから、刑法二六条一号による取消が最も典型的かつ本質的な執行猶予制度に由来する取消事由ということができよう。しかし、刑法二六条各号所定の取消事由をみれば明らかなように、現行の執行猶予制度は、少くともその立法の当初においては、制度の理念として短期自由刑の弊害を避ける趣旨が含まれていたことは疑のないところであり、そのために実刑と猶予との併存を許さないこととしていたのであつて、この実刑と猶予との併存を許さないことも執行猶予制度の本質と考えられるのである。そうであれば刑法二六条二号、三号についても、それは執行猶予の制度に本質的な、この制度に由来する取消事由ということができよう。もつとも、この実刑と猶予との併存を許さない趣旨は、立法の目的ではあつても、現在においては、必ずしもそれが執行猶予制度に必然的なものとは理解されていないように思われる。この点は、後記のように、刑法二六条三号による取消が本人に著しく不利益に機能するため、猶予判決の確定力を本人の利益のため猶予制度の理念に優先させ、猶予判決については可能なかぎり上訴によつて是正することとし、同条号の解釈が限定的になされるようになつた結果、実刑と猶予の判決が併存する事態を生ずるにいたつたことも、その原因の一つといえよう。その点はともかく、取消事由の憲法三九条への適合性について、それが猶予制度に本質的であるか否かによつてはかる基準は、その概念の流動性にかんがみるときは、それのみによつて決することなく、さらに、個々の取消事由の内容に立ち入つてその合理性を検討し、はたして憲法三九条に適合するか否かを検討すべきように思われるのである。
六最後に、刑法二六条二号による猶予の取消が憲法三九条に適合するか否かの基準として、刑法二六条三号による猶予の取消は、もともと客観的に猶予の許されない場合に誤つて言い渡された判決の過誤を是正するものであるから許されず、同条一、二号による猶予の取消は猶予の判決自体には過誤はないから、いわゆる過誤の是正にはあたらず、猶予の取消は許されるとする考え方がある。しかし、猶予の取消の時点にたつて猶予の判決を考えるとき、それが客観的に過誤であつたこと、すなわち、執行猶予を付すべきでない事案について執行を猶予したこと自体については、刑法二六条三号についてはもとより当然であるが、同条一、二号についても、客観的に過誤であつたとみることも可能である。そしてそれは、程度の問題にすぎないと考えることもできよう。ただこの点については、猶予の判決言渡時点においてすでに過誤が存するか、その後の事情によつて存するにいたるかは、顕著な相違として量的な相違にとどまらず、質的にも異なると解するのが相当であるかも知れない。刑法二六条三号による取消は本人にとつて著しく不利益に機能するため、猶予判決の確定力を猶予制度の理念に優先させ、猶予判決については可能なかぎり上訴によつて是正することとし、同条号について厳格な解釈論が展開されて来たのは、屡次の判例の示すところである。
七以上のように、刑法二六条二号が憲法三九条に適合するか否かの判断のためには、各種の基準が考えられるけれども、当裁判所は、右の各種の基準、特に、処罰の一回性の点をふまえ、結局、取消事由につき次のように統一的に解釈することによつて、憲法三九条に適合するものと考えるのである。まず、刑法二六条各号に共通して窺える取消事由は、本人が別件犯罪により実刑に処せられ、猶予判決において示された猶予期間中に施設に収容される事態が生じたということである。刑法二六条一号は、猶予期間中の犯罪で実刑に処せられた場合であり、同条二号は、猶予言渡前の犯罪について猶予期間中に実刑に処せられた場合であり、同条三号は、猶予の言渡前に実刑に処せられていたことが猶予期間中に発覚した場合であつて、いずれも実刑判決の出現を事由とする点で共通しており、そこには、本人について、直ちに施設に収容すべき事情が生じたときは、執行猶予がもはや無意味になつたか、あるいは無意味であつたとする共通の事情が窺えるのである。観点をかえると、そもそも右のような本人は、時間的前後関係を捨象すると、本来執行猶予になじまない者であつたということができるのである。そして、このような本人に対し、執行猶予を取り消すことは、いずれの場合においても、本人に帰責事由がある場合、すなわち、本人が罪を犯し実刑に処せられたことを事由とする点において合理的であり、少くとも憲法三九条には違反しないと考えるのである。もとより、刑法二六条三号の事由のごときは、同条一号と対比して、取消事由として相当か否か議論のわかれるところであろう。しかし、それはあくまで立法政策の当否の問題であつて、憲法適否の問題ではないと考える。改正刑法草案が、必要的取消事由として現行刑法二六条一号のみを残し、同条二号を裁量的取消事由とし、同条三号を取消事由から全く除外したのは、この意味において理解できるのである。そして、このように解釈するときは、刑法二六条二号による猶予の取消は、憲法三九条に違反しないことはもとより、同法三一条、三二条にも違反しないことが明らかである。
八所論(一)、(二)は、刑法二六条二号により執行猶予を取り消すのは憲法三九条、三一条に違反するというけれども、その採り得ないことは既に説示するところにより明らかである。また、所論(三)は、憲法三二条、三一条違反をいうけれども、所論は、執行猶予判決に対しては検察官の上訴があり、あるいはその確定後における刑法二六条三号による取消が考えられるのに、これらを看過した議論であつて前提を欠き、採用することができない。<以下、省略>
(船田三雄 櫛淵理 中西武夫)